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度なし UVカットカラーレンズについて
度なしUVカットカラーレンズ付きのメガネフレームを、オンラインショップでご注文のお客様は、下記の画像よりカラーをお選びください。 ご注文の際に、カートページの備考欄「ご注文・配送に関してご要望がございましたらご記入ください」に、お選び頂いたカラーの記載をお願い致します。 カラーについてのご相談は、LINEでも承っておりますので、「このフレームへのおすすめレンズが知りたい、ブラウン系でおすすめの色はどれか等」、ご要望ございましたらお気軽にご相談ください。
度なし UVカットカラーレンズについて
度なしUVカットカラーレンズ付きのメガネフレームを、オンラインショップでご注文のお客様は、下記の画像よりカラーをお選びください。 ご注文の際に、カートページの備考欄「ご注文・配送に関してご要望がございましたらご記入ください」に、お選び頂いたカラーの記載をお願い致します。 カラーについてのご相談は、LINEでも承っておりますので、「このフレームへのおすすめレンズが知りたい、ブラウン系でおすすめの色はどれか等」、ご要望ございましたらお気軽にご相談ください。

ウチムラの始まりは駄菓子屋だった
おかげさまで今年の5月で創業80年となるウチムラ。皆様、いつも本当にありがとうございます。 横浜元町への移転のタイミングということもありますが、この機会にこれまでお話することもなかったウチムラの歴史について、少し触れてみたいと思います。 1945年にスタートしたウチムラですが、初代はおばあちゃん。『あれ?お祖父様ではないんですね?』とよく言われますが、最初は祖父母でスタートしたものの、祖父が途中で蒸発してしまったようで…孫である僕も、そのあたりはあまり詳しく聞いたことはありませんが、ウチムラの歴史の教科書では初代は祖母となっています(笑) 初めは横浜の鶴見にて。ここにおよそ10年程あったみたいです。僕も驚いたのですが、最初は時計も眼鏡も関係なく、駄菓子屋だったとのこと(笑) これが本業だったようなのですが、手先が器用だった祖父が、軒先で近所に住む人達の時計を直していたらしく、それが評判となり時計店になっていったみたいです。まさに昭和のゆるさというか、おもしろさというか、その頃だから許されるストーリーですよね。でも僕はそんなストーリーにもすごく愛着が湧いています。 およそ50年前の三ツ境 その後、今の三ツ境に移転。その頃にメガネ・時計店というスタイルになっていったウチムラ。今も古くからある商店街ではたまに見かけると思いますが、昭和の頃は 『メガネと時計』がセットになった商売スタイルが多く存在していました。これは時計を修理する職人の細かな技術が、メガネレンズの切削や加工に活きたということに起因しているという説や、当時の高級品という括りでまとめられていったという説があります。(諸説あり) 初代のおばあちゃんと僕 こちらは初代のおばあちゃん。名称不明なヘアスタイルで、よくわからないけどどこかオーラがあります(笑) けっこうなイケイケ経営者だったようで。そもそもあの時代に女性の経営者というのは、かなり少なかったと思いますし、時計修理の職人も数十人抱えた大所帯だったようです。 宝飾のご提案も行なっていて、昭和らしいこんな写真も。三ツ境に駅ビル(相鉄ローゼン)が出来たときには『これからは駅ビルが栄えるはずだから出店しよう!』なんて計画もあったらしく、その時の企画書を見つけた時は、僕もおばあちゃんやばいなぁ…と思ったものです(笑) 2代目の父 2代目は父です。父は中学の頃から職人さんの所へのお使いや、掛け時計の配達など、家業を手伝わされていたようで、配達中の電車で振り子時計が鳴りやまなくなってしまった時は恥ずかしかったと話していました。 子供の頃の手伝いを含めると、かれこれ60年は家業に携わっている父。すごいです、今の時代では考えられません。良くも悪くも外に出たことがない人なので、僕以上に世間知らずで、年代的にも情報はものすごく少ない人間です。 ...
ウチムラの始まりは駄菓子屋だった
おかげさまで今年の5月で創業80年となるウチムラ。皆様、いつも本当にありがとうございます。 横浜元町への移転のタイミングということもありますが、この機会にこれまでお話することもなかったウチムラの歴史について、少し触れてみたいと思います。 1945年にスタートしたウチムラですが、初代はおばあちゃん。『あれ?お祖父様ではないんですね?』とよく言われますが、最初は祖父母でスタートしたものの、祖父が途中で蒸発してしまったようで…孫である僕も、そのあたりはあまり詳しく聞いたことはありませんが、ウチムラの歴史の教科書では初代は祖母となっています(笑) 初めは横浜の鶴見にて。ここにおよそ10年程あったみたいです。僕も驚いたのですが、最初は時計も眼鏡も関係なく、駄菓子屋だったとのこと(笑) これが本業だったようなのですが、手先が器用だった祖父が、軒先で近所に住む人達の時計を直していたらしく、それが評判となり時計店になっていったみたいです。まさに昭和のゆるさというか、おもしろさというか、その頃だから許されるストーリーですよね。でも僕はそんなストーリーにもすごく愛着が湧いています。 およそ50年前の三ツ境 その後、今の三ツ境に移転。その頃にメガネ・時計店というスタイルになっていったウチムラ。今も古くからある商店街ではたまに見かけると思いますが、昭和の頃は 『メガネと時計』がセットになった商売スタイルが多く存在していました。これは時計を修理する職人の細かな技術が、メガネレンズの切削や加工に活きたということに起因しているという説や、当時の高級品という括りでまとめられていったという説があります。(諸説あり) 初代のおばあちゃんと僕 こちらは初代のおばあちゃん。名称不明なヘアスタイルで、よくわからないけどどこかオーラがあります(笑) けっこうなイケイケ経営者だったようで。そもそもあの時代に女性の経営者というのは、かなり少なかったと思いますし、時計修理の職人も数十人抱えた大所帯だったようです。 宝飾のご提案も行なっていて、昭和らしいこんな写真も。三ツ境に駅ビル(相鉄ローゼン)が出来たときには『これからは駅ビルが栄えるはずだから出店しよう!』なんて計画もあったらしく、その時の企画書を見つけた時は、僕もおばあちゃんやばいなぁ…と思ったものです(笑) 2代目の父 2代目は父です。父は中学の頃から職人さんの所へのお使いや、掛け時計の配達など、家業を手伝わされていたようで、配達中の電車で振り子時計が鳴りやまなくなってしまった時は恥ずかしかったと話していました。 子供の頃の手伝いを含めると、かれこれ60年は家業に携わっている父。すごいです、今の時代では考えられません。良くも悪くも外に出たことがない人なので、僕以上に世間知らずで、年代的にも情報はものすごく少ない人間です。 ...

364日
百貨店マン人生の幕開け およそ10年前、就活生だった僕は 『接客を通してお客様のお役に立てる仕事がしたい』そう思っていた。そんな念願が叶い、大手百貨店に入社。僕の百貨店マン人生が幕を開けた。 『経営学部卒、同期の中で一番マーケティングセンスもあるだろう。接客も大好き。スピード出世してすごい催事をぶちかましてやるんだ』という根拠のない自信と、やる気にみちあふれてはいたが、僕は"能ある鷹は爪を隠す"タイプ。すごく静かな新入社員だった。 上司からは『新入社員なのに全然元気がないやつがいるって有名だぞ』と言われた。ノウアルタカハツメヲカクス... 新社会人、刺激的で忙しい日々を過ごしていった。 ある日の違和感... ある日、年配のお客様が、購入したお米をとても重たそうに持って歩いているのを見かけた。お聞きすると、駐車場に停めた車まで持っていくという。駐車場まで手伝ってあげたいと思ったが、上司からの指示でそれが出来なかった。重たそうにしているお客様をただ見送り、何にも出来ない僕... ある日、お客様が『購入したワインのサイズにちょうど合う手提げ袋をいただけませんか?』と声を掛けてきた。先輩社員が対応した後、お客様は不満そうに立ち去っていった。すると『そんな都合の良い袋なんてないんだから、しょうがないじゃんねぇ』と言う先輩。その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かが切れてしまった。 大きな企業がお客様一人一人の"細かな要望"に対応することはとても難しい。そしてそれは企業のコストパフォーマンス的にも不正解かもしれない。だがその"細かな要望"を敏感に感じ取り、お客様のお役に立つということを純粋に追求していくことこそが百貨店の価値だと僕は信じていた。 『もしかして僕の考え方は、この会社の役には立てないのではないか...』 眼鏡・時計の内村 それからおよそ1ヶ月後、僕の百貨店マン人生は『364日』で幕を閉じた。 仮にも大手百貨店ではあったので、1年も経たずに退職した人は、不祥事を起こしてしまった人ぐらいかもしれない... そんな僕には、この思いを実現出来る可能性のある場所があった。それは父の店である。それまで全く継ぐ気もなく、全く興味もなかったが、自分の好きなだけお客様と向き合い、お役に立つことを純粋に追求出来ると思い "眼鏡・時計の内村"を継ぐことを決めた。 純粋な追求 『とりあえずこの会社で3年は働いてみた方が良いよ』百貨店を辞めようとしていた時に、たくさんの方に掛けていただいた言葉。あれからおよそ10年、後悔したことは一度もない。 『とりあえず3年働かなくて困ったこと』・エクセルができない・パワポもできない・資料作りもままならない だけど僕は眼鏡、時計修理を通じてお客様のお役に立つことが出来ます。 大手百貨店にいた時の自分よりも、お客様のお役に立てているという自負はある。ただ、自分なりではあるけれど、今もお客様のお役に立つことを追求し続けられているのは、百貨店でのあの『364日』があったからだと思う。このことを決して忘れずに、これからも僕がお客様に対して出来ることを純粋に追求し続けて行きたいと思う。 僕には到底出来なかったけれど、大企業を変えようと、今も強い意思を持ち続け、頑張っている同期や同僚の方、本当にリスペクト。形、立場は違えど、ともに刺激しあえる関係でありたい。 閉店ガラガラ
364日
百貨店マン人生の幕開け およそ10年前、就活生だった僕は 『接客を通してお客様のお役に立てる仕事がしたい』そう思っていた。そんな念願が叶い、大手百貨店に入社。僕の百貨店マン人生が幕を開けた。 『経営学部卒、同期の中で一番マーケティングセンスもあるだろう。接客も大好き。スピード出世してすごい催事をぶちかましてやるんだ』という根拠のない自信と、やる気にみちあふれてはいたが、僕は"能ある鷹は爪を隠す"タイプ。すごく静かな新入社員だった。 上司からは『新入社員なのに全然元気がないやつがいるって有名だぞ』と言われた。ノウアルタカハツメヲカクス... 新社会人、刺激的で忙しい日々を過ごしていった。 ある日の違和感... ある日、年配のお客様が、購入したお米をとても重たそうに持って歩いているのを見かけた。お聞きすると、駐車場に停めた車まで持っていくという。駐車場まで手伝ってあげたいと思ったが、上司からの指示でそれが出来なかった。重たそうにしているお客様をただ見送り、何にも出来ない僕... ある日、お客様が『購入したワインのサイズにちょうど合う手提げ袋をいただけませんか?』と声を掛けてきた。先輩社員が対応した後、お客様は不満そうに立ち去っていった。すると『そんな都合の良い袋なんてないんだから、しょうがないじゃんねぇ』と言う先輩。その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かが切れてしまった。 大きな企業がお客様一人一人の"細かな要望"に対応することはとても難しい。そしてそれは企業のコストパフォーマンス的にも不正解かもしれない。だがその"細かな要望"を敏感に感じ取り、お客様のお役に立つということを純粋に追求していくことこそが百貨店の価値だと僕は信じていた。 『もしかして僕の考え方は、この会社の役には立てないのではないか...』 眼鏡・時計の内村 それからおよそ1ヶ月後、僕の百貨店マン人生は『364日』で幕を閉じた。 仮にも大手百貨店ではあったので、1年も経たずに退職した人は、不祥事を起こしてしまった人ぐらいかもしれない... そんな僕には、この思いを実現出来る可能性のある場所があった。それは父の店である。それまで全く継ぐ気もなく、全く興味もなかったが、自分の好きなだけお客様と向き合い、お役に立つことを純粋に追求出来ると思い "眼鏡・時計の内村"を継ぐことを決めた。 純粋な追求 『とりあえずこの会社で3年は働いてみた方が良いよ』百貨店を辞めようとしていた時に、たくさんの方に掛けていただいた言葉。あれからおよそ10年、後悔したことは一度もない。 『とりあえず3年働かなくて困ったこと』・エクセルができない・パワポもできない・資料作りもままならない だけど僕は眼鏡、時計修理を通じてお客様のお役に立つことが出来ます。 大手百貨店にいた時の自分よりも、お客様のお役に立てているという自負はある。ただ、自分なりではあるけれど、今もお客様のお役に立つことを追求し続けられているのは、百貨店でのあの『364日』があったからだと思う。このことを決して忘れずに、これからも僕がお客様に対して出来ることを純粋に追求し続けて行きたいと思う。 僕には到底出来なかったけれど、大企業を変えようと、今も強い意思を持ち続け、頑張っている同期や同僚の方、本当にリスペクト。形、立場は違えど、ともに刺激しあえる関係でありたい。 閉店ガラガラ

テレビ出演 BSフジテレビ 名品再生 7/10(日)朝9:00-9:30
今週末7/10(日)朝9時〜、時計修理技師がBSフジテレビ「名品再生」にGRAND SEIKOを再生させる職人として出演予定です。 私達のご提案するヴィンテージウォッチを既にお使い頂いている方々や、これまで時計修理をご相談下さった方々に少しでも楽しんで頂ければ嬉しく思います。 修理のこだわり、工房の様子などもご覧いただけるかと思いますので、お時間あれば是非ご覧ください! 動画はこちらから↓ https://www.bsfuji.tv/meihinsaisei/meihin/19.html
テレビ出演 BSフジテレビ 名品再生 7/10(日)朝9:00-9:30
今週末7/10(日)朝9時〜、時計修理技師がBSフジテレビ「名品再生」にGRAND SEIKOを再生させる職人として出演予定です。 私達のご提案するヴィンテージウォッチを既にお使い頂いている方々や、これまで時計修理をご相談下さった方々に少しでも楽しんで頂ければ嬉しく思います。 修理のこだわり、工房の様子などもご覧いただけるかと思いますので、お時間あれば是非ご覧ください! 動画はこちらから↓ https://www.bsfuji.tv/meihinsaisei/meihin/19.html

サングラスイベント開催 10/28(土)-11/5(日)
だんだんと秋が深まってきましたね。ようやく酷暑が終わり、公園やテラス等、外で過ごすのが気持ちいい季節になりました。そんな時に大活躍するのがサングラス🕶️ 10/28(土)-11/5(日)の期間、私達のお店でサングラスイベントを開催します! サングラスといえば、一般的に夏のイメージがあり、今からサングラスイベント?と思われる方もいらっしゃるかと思います。 ただ、近年は暑過ぎて、夏場に外で過ごすことはそんなにないのではないでしょうか。今年の夏は特に暑かったのと、私は小さい子供もいるので完全に引きこもってました…実は涼しくなったこれからの時期の方が、サイクリング等外出する機会が増えてサングラスが必要に。 夏のサングラスといえば、眩しさを抑えるために濃いカラーのものをかける方も多いかと思いますが、どうしても夏感が残るので、これからの季節はファッションとのバランスをとるのが難しいなと思うことがあります。また、景色の見え方が暗くなり、色も変わってしまうので、ドライブや紅葉狩り等、景色を楽しむシーンにはちょっと不向きなことも。 そこで、私達が季節問わず提案しているのが、薄いカラーのサングラスです。かけるだけでおしゃれに見える飛び道具的な存在。これからの季節、ファッションとも合わせやすく、外で過ごすのに大活躍!薄いカラーなので、景色を見ても色が大きく変わらず、そのまま室内でかけていても不自然になりません。 また、濃いカラーのレンズは眩しさは軽減できるものの、紫外線から目を守るという点においては、薄いカラーのものの方が良いと言われています。 理由としては、濃いカラーのサングラスをかけると、暗くなることによって瞳孔が開いてしまい、サングラスでカットしきれない紫外線が目に入りやすくなってしまうため。薄いカラーであれば、瞳孔が開きづらく、紫外線もカットしてくれます。おしゃれに見える上に、実用的で本当にお勧めです。 今回のイベントでは、皆様にもっとサングラスを楽しんで頂きたいという思いから、フレームをご購入頂いた方には、カラーレンズ代(4,400円相当)をサービスさせて頂きます。 度無しサングラスは、私達がおすすめしたい組み合わせで予めご用意しますので、その場でお持ち帰り頂けます。 加えて、お好きなカラーレンズとフレームを組み合わせて頂くことも可能で、お時間を30分-1時間ほど頂ければ当日中にお渡しが出来ます。 また、度入りのサングラスもご注文承っておりますので、お気軽にご相談下さい。 よく、サングラスは似合わないのでちょっと…とおっしゃる方が多くいらっしゃるのですが、誰でも似合う1本が必ずあります!プロとして色々お話ししながら、サングラス選びのお手伝いが出来ればと思いますので、今まで気になるけど挑戦できなかったという方も、この機会に是非お試しください。 それでは、皆様のご来店をお待ちしております! ⬛︎イベント概要 日程: 10/28(土)-11/5(日) 場所: 内村眼鏡店 横浜市瀬谷区三ツ境15-10 ...
サングラスイベント開催 10/28(土)-11/5(日)
だんだんと秋が深まってきましたね。ようやく酷暑が終わり、公園やテラス等、外で過ごすのが気持ちいい季節になりました。そんな時に大活躍するのがサングラス🕶️ 10/28(土)-11/5(日)の期間、私達のお店でサングラスイベントを開催します! サングラスといえば、一般的に夏のイメージがあり、今からサングラスイベント?と思われる方もいらっしゃるかと思います。 ただ、近年は暑過ぎて、夏場に外で過ごすことはそんなにないのではないでしょうか。今年の夏は特に暑かったのと、私は小さい子供もいるので完全に引きこもってました…実は涼しくなったこれからの時期の方が、サイクリング等外出する機会が増えてサングラスが必要に。 夏のサングラスといえば、眩しさを抑えるために濃いカラーのものをかける方も多いかと思いますが、どうしても夏感が残るので、これからの季節はファッションとのバランスをとるのが難しいなと思うことがあります。また、景色の見え方が暗くなり、色も変わってしまうので、ドライブや紅葉狩り等、景色を楽しむシーンにはちょっと不向きなことも。 そこで、私達が季節問わず提案しているのが、薄いカラーのサングラスです。かけるだけでおしゃれに見える飛び道具的な存在。これからの季節、ファッションとも合わせやすく、外で過ごすのに大活躍!薄いカラーなので、景色を見ても色が大きく変わらず、そのまま室内でかけていても不自然になりません。 また、濃いカラーのレンズは眩しさは軽減できるものの、紫外線から目を守るという点においては、薄いカラーのものの方が良いと言われています。 理由としては、濃いカラーのサングラスをかけると、暗くなることによって瞳孔が開いてしまい、サングラスでカットしきれない紫外線が目に入りやすくなってしまうため。薄いカラーであれば、瞳孔が開きづらく、紫外線もカットしてくれます。おしゃれに見える上に、実用的で本当にお勧めです。 今回のイベントでは、皆様にもっとサングラスを楽しんで頂きたいという思いから、フレームをご購入頂いた方には、カラーレンズ代(4,400円相当)をサービスさせて頂きます。 度無しサングラスは、私達がおすすめしたい組み合わせで予めご用意しますので、その場でお持ち帰り頂けます。 加えて、お好きなカラーレンズとフレームを組み合わせて頂くことも可能で、お時間を30分-1時間ほど頂ければ当日中にお渡しが出来ます。 また、度入りのサングラスもご注文承っておりますので、お気軽にご相談下さい。 よく、サングラスは似合わないのでちょっと…とおっしゃる方が多くいらっしゃるのですが、誰でも似合う1本が必ずあります!プロとして色々お話ししながら、サングラス選びのお手伝いが出来ればと思いますので、今まで気になるけど挑戦できなかったという方も、この機会に是非お試しください。 それでは、皆様のご来店をお待ちしております! ⬛︎イベント概要 日程: 10/28(土)-11/5(日) 場所: 内村眼鏡店 横浜市瀬谷区三ツ境15-10 ...

ヴィンテージセイコーといえば|内村時計店で体験する時計の世界
一生もののヴィンテージセイコーは、どうしたら手に入れられるのでしょうか。ヴィンテージセイコーの魅力や、お店選びのポイント、時計職人がいる私達内村時計店だからこそお伝えできる、ヴィンテージセイコーの愉しみ方まで、ぜひご覧ください。 ヴィンテージウォッチとは はじめに、ヴィンテージウォッチとは、なんのことをいうのでしょうか。 時計店によって、その基準はそれぞれであるものの、一般的に「ヴィンテージ」とは製造されてから50~99年経過しているもの、「アンティーク」は、製造されてから100年以上経過しているものを指すことが多く、「ヴィンテージ」という言葉は、もとは良質なワインを表す専門用語だったと言われています。現在は、車、ファッション、家具など、様々なものに使われるようになっており、ヴィンテージ、アンティークともに「古くて良い」「価値がある」「味がある」というプラスの意味が含まれているでしょう。 時計の起源を辿ると、1300年頃に、北イタリアから南ドイツに至る地域で、機械式時計が作られたことから始まります。その後、何世紀もの間に技術革新があり、振り子時計の発明、携帯化などを経て、電圧を加えると正確に振動するクオーツ(水晶)の性質を生かした「クオーツ時計」が開発されます。世界初のクオーツ時計「セイコークオーツアストロン35SQ」が、1969年に発売されてから、クオーツ時計が劇的に普及していくことになります。 現在、1970年代より前の腕時計を「ヴィンテージウォッチ」と表現することが多くなっています。ヴィンテージ時計の多くが、機械式時計なのはそのためです。 機械式時計は、ゼンマイで動く時計で、細かなパーツが緻密な設計の元、職人の技術で一つ一つ精緻に組み立てられています。量産できないことにもつながり、高価になりやすいという特徴があります。 製造年代が古いということは、現存する数も少ないため希少性が高くなります。ブランドや時計によっては、価格以上の価値がつき、資産になることもあります。 また、現行品には見られないようなデザインや設計、装飾が施されていることもあります。職人の手作業ならではのクオリティの高さや精巧さも魅力のひとつです。 現在、製造販売されているものとは異なり、他の人とは被らない、自分のセンスや独自性を表現する、といったことも可能です。もちろんエイジングによる独特な味わいも魅力で、歴代のオーナーや、その腕時計が、世界中どのように渡ってきたかなどを知ることも醍醐味となっています。 ヴィンテージセイコーとは ヴィンテージウォッチというカテゴリーの中に、ヴィンテージセイコーはあります。 まず、セイコーにはどのような歴史があるか見ていきましょう。 1881年に日本で「服部時計店」が創業したところから、世界のセイコーの歴史は始まります。1923年には初めてセイコーブランドが冠され、1960年にはセイコーの頂点モデルとして、グランドセイコーが誕生しました。その後、世界初のクオーツ式腕時計を発売するなど、様々な技術、機能を用い、多くの世界初を樹立し、現在に至るまで世界から一目置かれるブランドであると言えます。 では、ヴィンテージセイコーとは何を指すのでしょうか。答えは、主に1960~1970年代に製造されたセイコーウォッチのことです。 当時のクラシカルで、シンプルなデザイン、かつ確かな技術でムーブメントが精巧に組み上げられたモデルは、年代を問わずに人気で、多くの人が愛してやみません。 振り返ると、1950年にはセイコーで腕時計の生産数が大きく増え、その後、1960年代には高い技術力に裏打ちされたモデルが多く発売されました。 1960年に、セイコーの頂点モデルとして誕生した「グランドセイコー」は、ヴィンテージセイコーの中でも、特に愛され続ける歴史的モデルのひとつです。 スイス公認歩度検定局の基準に準拠する、セイコー社内の厳密な検査に合格したもののみが商品化され、歩度証明書付きで販売されたといいます。 また、東京オリンピックの公式時計が、セイコーに決まったことを契機に、国内初のクロノグラフ(ストップウォッチ付き腕時計)が、1964年に発売されました。 同じく1964年に発売された、国内初のワールドタイム表示機能付きのモデル、1965年には、国内初のダイバーズウォッチなど、現在の腕時計にも通じる機能性、耐久性、唯一無二のデザインが配された歴史的モデルが多く開発、発売されました。 日本のみならず、その高性能、視認性、スタイリッシュさ、日本の職人が丁寧に組み上げたその精巧さは、グローバルにその価値が認められており、だからこそ、当時の時計、つまりヴィンテージセイコーは多くの方に愛されているのです。 ヴィンテージセイコーが手に入る店 では、ヴィンテージウォッチやヴィンテージセイコーを手に入れたいと考えた時、どこで探すのがよいのでしょうか。 前にお伝えしたとおり、ヴィンテージウォッチ、ヴィンテージセイコーは1960年~1970年代以前に製造されたものであるため、そのモデルの特徴や性能、歴史的背景、メンテナンス方法など、できるだけ情報を知ってから購入されることをオススメします。現在、製造・販売されいている商品や部品とは異なる部分も多く、また、そのストーリーを知るからこそ、さらに愛着が湧くということもあるはずです。 そのため、ヴィンテージウォッチやヴィンテージセイコーを探す際は、ヴィンテージウォッチ専門店や、ヴィンテージウォッチに詳しいスタッフがいる店舗に行くことが、お気に入りの1本を見つけ、腕時計を永く使うための近道です。 そういった専門店には、知識を持ったスタッフの方のほか、修理やメンテナンスに長けた技術者が常駐している場合もありますので、そういった点でも、ヴィンテージウォッチの専門店や、力を入れているお店を選ぶと、購入した後も安心してヴィンテージウォッチ、ヴィンテージセイコーと付き合うことができてよいでしょう。...
ヴィンテージセイコーといえば|内村時計店で体験する時計の世界
一生もののヴィンテージセイコーは、どうしたら手に入れられるのでしょうか。ヴィンテージセイコーの魅力や、お店選びのポイント、時計職人がいる私達内村時計店だからこそお伝えできる、ヴィンテージセイコーの愉しみ方まで、ぜひご覧ください。 ヴィンテージウォッチとは はじめに、ヴィンテージウォッチとは、なんのことをいうのでしょうか。 時計店によって、その基準はそれぞれであるものの、一般的に「ヴィンテージ」とは製造されてから50~99年経過しているもの、「アンティーク」は、製造されてから100年以上経過しているものを指すことが多く、「ヴィンテージ」という言葉は、もとは良質なワインを表す専門用語だったと言われています。現在は、車、ファッション、家具など、様々なものに使われるようになっており、ヴィンテージ、アンティークともに「古くて良い」「価値がある」「味がある」というプラスの意味が含まれているでしょう。 時計の起源を辿ると、1300年頃に、北イタリアから南ドイツに至る地域で、機械式時計が作られたことから始まります。その後、何世紀もの間に技術革新があり、振り子時計の発明、携帯化などを経て、電圧を加えると正確に振動するクオーツ(水晶)の性質を生かした「クオーツ時計」が開発されます。世界初のクオーツ時計「セイコークオーツアストロン35SQ」が、1969年に発売されてから、クオーツ時計が劇的に普及していくことになります。 現在、1970年代より前の腕時計を「ヴィンテージウォッチ」と表現することが多くなっています。ヴィンテージ時計の多くが、機械式時計なのはそのためです。 機械式時計は、ゼンマイで動く時計で、細かなパーツが緻密な設計の元、職人の技術で一つ一つ精緻に組み立てられています。量産できないことにもつながり、高価になりやすいという特徴があります。 製造年代が古いということは、現存する数も少ないため希少性が高くなります。ブランドや時計によっては、価格以上の価値がつき、資産になることもあります。 また、現行品には見られないようなデザインや設計、装飾が施されていることもあります。職人の手作業ならではのクオリティの高さや精巧さも魅力のひとつです。 現在、製造販売されているものとは異なり、他の人とは被らない、自分のセンスや独自性を表現する、といったことも可能です。もちろんエイジングによる独特な味わいも魅力で、歴代のオーナーや、その腕時計が、世界中どのように渡ってきたかなどを知ることも醍醐味となっています。 ヴィンテージセイコーとは ヴィンテージウォッチというカテゴリーの中に、ヴィンテージセイコーはあります。 まず、セイコーにはどのような歴史があるか見ていきましょう。 1881年に日本で「服部時計店」が創業したところから、世界のセイコーの歴史は始まります。1923年には初めてセイコーブランドが冠され、1960年にはセイコーの頂点モデルとして、グランドセイコーが誕生しました。その後、世界初のクオーツ式腕時計を発売するなど、様々な技術、機能を用い、多くの世界初を樹立し、現在に至るまで世界から一目置かれるブランドであると言えます。 では、ヴィンテージセイコーとは何を指すのでしょうか。答えは、主に1960~1970年代に製造されたセイコーウォッチのことです。 当時のクラシカルで、シンプルなデザイン、かつ確かな技術でムーブメントが精巧に組み上げられたモデルは、年代を問わずに人気で、多くの人が愛してやみません。 振り返ると、1950年にはセイコーで腕時計の生産数が大きく増え、その後、1960年代には高い技術力に裏打ちされたモデルが多く発売されました。 1960年に、セイコーの頂点モデルとして誕生した「グランドセイコー」は、ヴィンテージセイコーの中でも、特に愛され続ける歴史的モデルのひとつです。 スイス公認歩度検定局の基準に準拠する、セイコー社内の厳密な検査に合格したもののみが商品化され、歩度証明書付きで販売されたといいます。 また、東京オリンピックの公式時計が、セイコーに決まったことを契機に、国内初のクロノグラフ(ストップウォッチ付き腕時計)が、1964年に発売されました。 同じく1964年に発売された、国内初のワールドタイム表示機能付きのモデル、1965年には、国内初のダイバーズウォッチなど、現在の腕時計にも通じる機能性、耐久性、唯一無二のデザインが配された歴史的モデルが多く開発、発売されました。 日本のみならず、その高性能、視認性、スタイリッシュさ、日本の職人が丁寧に組み上げたその精巧さは、グローバルにその価値が認められており、だからこそ、当時の時計、つまりヴィンテージセイコーは多くの方に愛されているのです。 ヴィンテージセイコーが手に入る店 では、ヴィンテージウォッチやヴィンテージセイコーを手に入れたいと考えた時、どこで探すのがよいのでしょうか。 前にお伝えしたとおり、ヴィンテージウォッチ、ヴィンテージセイコーは1960年~1970年代以前に製造されたものであるため、そのモデルの特徴や性能、歴史的背景、メンテナンス方法など、できるだけ情報を知ってから購入されることをオススメします。現在、製造・販売されいている商品や部品とは異なる部分も多く、また、そのストーリーを知るからこそ、さらに愛着が湧くということもあるはずです。 そのため、ヴィンテージウォッチやヴィンテージセイコーを探す際は、ヴィンテージウォッチ専門店や、ヴィンテージウォッチに詳しいスタッフがいる店舗に行くことが、お気に入りの1本を見つけ、腕時計を永く使うための近道です。 そういった専門店には、知識を持ったスタッフの方のほか、修理やメンテナンスに長けた技術者が常駐している場合もありますので、そういった点でも、ヴィンテージウォッチの専門店や、力を入れているお店を選ぶと、購入した後も安心してヴィンテージウォッチ、ヴィンテージセイコーと付き合うことができてよいでしょう。...