横浜元町への移転のタイミングということもありますが、この機会にこれまでお話することもなかったウチムラの歴史について、少し触れてみたいと思います。
1945年にスタートしたウチムラですが、初代はおばあちゃん。『あれ?お祖父様ではないんですね?』とよく言われますが、最初は祖父母でスタートしたものの、祖父が途中で蒸発してしまったようで…孫である僕も、そのあたりはあまり詳しく聞いたことはありませんが、ウチムラの歴史の教科書では初代は祖母となっています(笑)
初めは横浜の鶴見にて。ここにおよそ10年程あったみたいです。僕も驚いたのですが、最初は時計も眼鏡も関係なく、駄菓子屋だったとのこと(笑)
これが本業だったようなのですが、手先が器用だった祖父が、軒先で近所に住む人達の時計を直していたらしく、それが評判となり時計店になっていったみたいです。まさに昭和のゆるさというか、おもしろさというか、その頃だから許されるストーリーですよね。でも僕はそんなストーリーにもすごく愛着が湧いています。
初代のおばあちゃんと僕
こちらは初代のおばあちゃん。名称不明なヘアスタイルで、よくわからないけどどこかオーラがあります(笑)
けっこうなイケイケ経営者だったようで。そもそもあの時代に女性の経営者というのは、かなり少なかったと思いますし、時計修理の職人も数十人抱えた大所帯だったようです。
宝飾のご提案も行なっていて、昭和らしいこんな写真も。三ツ境に駅ビル(相鉄ローゼン)が出来たときには『これからは駅ビルが栄えるはずだから出店しよう!』なんて計画もあったらしく、その時の企画書を見つけた時は、僕もおばあちゃんやばいなぁ…と思ったものです(笑)
2代目の父
2代目は父です。父は中学の頃から職人さんの所へのお使いや、掛け時計の配達など、家業を手伝わされていたようで、配達中の電車で振り子時計が鳴りやまなくなってしまった時は恥ずかしかったと話していました。
子供の頃の手伝いを含めると、かれこれ60年は家業に携わっている父。すごいです、今の時代では考えられません。良くも悪くも外に出たことがない人なので、僕以上に世間知らずで、年代的にも情報はものすごく少ない人間です。
そんな父でも、2代目としてウチムラを長年続けてこれた理由というのが当然あるわけですが、それは間違いなく『仕事に対する丁寧さ』だと思います。むしろ父にはこれしか備わっていません(笑)
父はとにかく念には念を込めすぎるくらい丁寧な仕事をする人です。(それで僕への仕事のしわ寄せがすごいわけですが…)
父が作った社是に『丁寧をつくる』という言葉があります。眼鏡をつくる、時計を修理するということ以上に、まず丁寧を一番に心掛けるということ。僕はこの言葉がすごく好きで、素晴らしいなと思っています。
次回のブログでは、この『丁寧をつくる』という言葉や、『家業を継ぐ』いうところにフォーカスして、3代目である僕のことも少しお話ししたいと思います。